4年前に、舅が、肝臓ガンの末期で入院しました。私は、牧師先生に、舅のために祈ってくれるようにお願いしました。主人に、「明日、教会の先生が、おじいちゃんのお見舞いに来てくれる。」と言うと、「天国の話なんかすると、おじいちゃんが、『自分は、もう死ぬのではないか?』と心配するから断っとけ。」と、言って怒り出しました。私は「波風は、立てたくない。」と思いました。私は、牧師夫人に「主人が、とても怒り出したのでお断りします。」と電話すると、牧師夫人が「Cさん、本当にそれでいいの?ちょっと、ご主人と代わってくださる?」と言われました。
これには、主人の方が、たじろいてしまい、「天国の話をしないならば。」と言って、お見舞いを許してくれました。しかし、次の日、牧師先生は、率直に、すべての人は罪を持っていること。罪を持ったままでは、天国に行けないこと。でも、2000年前、神のひとり子であるイエス様が私たちの罪の身代わりとなって、十字架にかかって死んでくださったこと。このイエス様を、自分の罪からの救い主と信じているならば、すべての罪を赦され天国に行けること。また、この世界は、すべて海も山も、神様が造られたこと。などを話してくださいました。舅は、熱心に聞いていました。そして、牧師先生に、魂が救われるように、病が癒されるようにお祈りして頂きましたが、その日は、イエス様を信じることはできませんでした。次の週、牧師先生は、脳梗塞で入院していた姑のところに、お見舞いに来てくれました。姑も、熱心に牧師先生のお話を聞いていました。そして、姑は、イエス様を受け入れる決心をし、牧師先生の後について、信仰の告白のお祈りをしました。
私は、「救われるのは、難しい」と思っていた姑が、あまりにも簡単に救われたので、あっけにとられてしまいました。その後、私は、舅のところに行き、「おばあちゃんは、イエス様を信じたで。」と言うと、舅は、「おばあちゃんも、とうとう神さんになったか。」と言って笑いました。その次の週、牧師先生は、再び舅のお見舞いに来てくれました。今度は、舅がイエス様を信じて信仰告白をしました。それから数週間して、舅は天国に召され、姑も一年半後、天国に召されました。牧師夫人が、「最高の親孝行をしたよ。」と言ってくれました。それを主人に言うと、本当にうれしそうでした。
私は、このことを通して、「伝道は、難しくない」ということに、目が開かれました。今は、公園伝道や教会学校の奉仕を楽しくさせて頂いています。