教会員の証

10年。それはとてもなく長い年月のように感じます。しかし、10年前に自分が何をしていたかというと、もうすでに高校生だったわけです。そう考えると、その頃から大して成長の見られない私にとっては、「あっというま」に過ぎ去っていった時間であるような気がします。

大学に入って静岡にて一人暮らしを始めてからは、年に2〜3回の帰省するくらいでしたので、教会の皆さんと接する機会というのは「礼拝後のほんのわずかな時間」しかなく、あまり良い交わりができたとは思えません。しかし、毎回帰省する度に「お帰りなさい」と暖かい言葉をかけていただいて、なんだかほっとした気分になれるのでした。

社会人になってからはますます帰省する機会も減り、ほとんど正月だけしか帰ることができなくなりました。そんな中、帰るたびに驚くことがあります。いつも、礼拝に来ている人数が増えているのです。しかも、私がいない1年の間に、知らない兄弟姉妹が何人も加えられているのです。確実にこの教会は成長している。いつも、そう実感しています。

新会堂の必要については、きっと主が素晴らしいものを与えてくださるはずだと信じています。そして、ますます多くの兄弟姉妹が加えられ、青山・白鳥の地の祝福に溢れるようになるのも、そう遠い日ではないことを期待し、いつも祈っています。

「ああ主には、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。」    ヨブ記42章2節

4年前に、舅が、肝臓ガンの末期で入院しました。私は、牧師先生に、舅のために祈ってくれるようにお願いしました。主人に、「明日、教会の先生が、おじいちゃんのお見舞いに来てくれる。」と言うと、「天国の話なんかすると、おじいちゃんが、『自分は、もう死ぬのではないか?』と心配するから断っとけ。」と、言って怒り出しました。私は「波風は、立てたくない。」と思いました。私は、牧師夫人に「主人が、とても怒り出したのでお断りします。」と電話すると、牧師夫人が「Cさん、本当にそれでいいの?ちょっと、ご主人と代わってくださる?」と言われました。

これには、主人の方が、たじろいてしまい、「天国の話をしないならば。」と言って、お見舞いを許してくれました。しかし、次の日、牧師先生は、率直に、すべての人は罪を持っていること。罪を持ったままでは、天国に行けないこと。でも、2000年前、神のひとり子であるイエス様が私たちの罪の身代わりとなって、十字架にかかって死んでくださったこと。このイエス様を、自分の罪からの救い主と信じているならば、すべての罪を赦され天国に行けること。また、この世界は、すべて海も山も、神様が造られたこと。などを話してくださいました。舅は、熱心に聞いていました。そして、牧師先生に、魂が救われるように、病が癒されるようにお祈りして頂きましたが、その日は、イエス様を信じることはできませんでした。次の週、牧師先生は、脳梗塞で入院していた姑のところに、お見舞いに来てくれました。姑も、熱心に牧師先生のお話を聞いていました。そして、姑は、イエス様を受け入れる決心をし、牧師先生の後について、信仰の告白のお祈りをしました。

私は、「救われるのは、難しい」と思っていた姑が、あまりにも簡単に救われたので、あっけにとられてしまいました。その後、私は、舅のところに行き、「おばあちゃんは、イエス様を信じたで。」と言うと、舅は、「おばあちゃんも、とうとう神さんになったか。」と言って笑いました。その次の週、牧師先生は、再び舅のお見舞いに来てくれました。今度は、舅がイエス様を信じて信仰告白をしました。それから数週間して、舅は天国に召され、姑も一年半後、天国に召されました。牧師夫人が、「最高の親孝行をしたよ。」と言ってくれました。それを主人に言うと、本当にうれしそうでした。

私は、このことを通して、「伝道は、難しくない」ということに、目が開かれました。今は、公園伝道や教会学校の奉仕を楽しくさせて頂いています。

2000年ごろ 高校生の娘が友人に誘われて行った事のある教会から、月に一回程度、グッドニュースという読み物が娘宛に送られてきていました。それを読んでいたのは娘ではなく母親の私でした。当時、主人は別の女性と付き合っていたため、夫婦の間は冷戦状態で家庭は暗い雰囲気に包まれていました。友人はいろいろと慰め励ましてくれたのですが、私には少しも喜びがなかったのを覚えています。

けれど「グッドニュース」に書かれていたバイブルメッセージは心にすーっと入ってきて慰められていました。「何ヶ月間かこの『グッドニュース』を読んでいましたが、ある時、「初心者のための聖書の学び」の案内チラシが入っていましたので 思い切って学ぶことにしました。夫はその頃家を出て行き、私は非常に悲しくて不安で一杯でした.けれどもイエス様が、「すべて重荷を負って苦労している者は私のところに来なさい。わたしがあなた方を休ませて上げます。」と招いておられ、悲しいところを辛いところから解放して幸せにして上げようと語っておられることが分かりました。また、自分は被害者だとしか思っていませんでしたが、人を悪く言ったり自己中心だったり、神様に背を向けていたりと沢山の罪を犯していることに気がつきました。そしてイエス様が罪を赦すために死んで下さったことを知り、翌年のイースターにイエス様を信じて洗礼を受けました。その後、礼拝では賛美によって心が解放され、メッセージで恵まれ、次第に元気と明るさをとり戻すことができました。3人の子どもを抱え、生活のために必死で働いてきましたが、振り返って見ると「数えてみよ主の恵み」という聖歌の歌詞にあるように主は真実で恵み深い方ですから、必要を十分に満たして下さいました。

あのグッドニュースが届けられていなければ、今頃どうしていただろうかと感謝の思いで一杯になるのです。

10年というのは、本当にあっという間の年月でした。

教会が出来た時、私は中学2年生でした。小さい時から、教会には何の抵抗もなく、ごく普通に行っていました。新しく教会が出来てからも毎日家族だけの礼拝にとりあえず行くだけでした。

私は、幼い頃からたくさんの神様の恵みを耳にし、体験もしました。でも、感動するのはその時だけで、すぐに、神様を忘れて、自分中心な生活をする毎日で、自分に必要な時にだけ、「神様!」と祈る様な者でした。まるで、聖書のなかの、イスラエル人がエジプトから約束の地を目指す時色々な所で、神様から離れる姿に似ていました。教会学校で、イスラエルの話や、ペテロが3度イエス様を知らないと言った場面で、私だったら絶対に、そんなことしないと思っていました。でも、実際にはイスラエル人より、ペテロより、色んな所で神様から離れ、たくさん神様を悲しませてきました。それでも神様は、私を見捨てずに、いつでも愛して下さっていた事は、何よりも感謝する事です。

最近、すごい!!と感じたことがあります。それは、クリスチャンという言葉は、初めはイエス様を信じる者をバカにするはやし言葉で、今だとキリストバカと言う意味だったと思います。それが後に、キリストに属する者という意味のクリスチャンという言葉に変わったと聞いたことです。神様は、こんな事も良い事に変えて下さるんですね。私も本当の意味でキリストバカになりたいと思いました。

10年の間で家族だけの教会が成長し、守られた様に神様が、私に色んな所を通して心から神様を求めるように変えて下さったと思います。この先も、色々な出来事があると思いますが、神様が守り導いて下さる事を信じて行きたいです。